山川登美子の軌跡 in 小浜
こんにちは、すがやです。
本日のハイピースブログでも小浜関連のお話をお届けします。
人にクローズアップしたネタ、歌人「山川登美子(やまかわ とみこ)」の話題です。
山川登美子は、1879年(明治12年)7月19日 に生まれ、
1909年(明治42年)4月15日に没した、福井県を代表する女流歌人です。
現在の小浜市に生まれ、生家は上級藩主の家筋なのだそうです。
先週ご紹介した、四季彩館 酔月では、
店内の一角にこの山川登美子についての展示スペースがあります。
大阪のミッションスクールである梅花女学校に入学し、
卒業後に母校の研究生となり英語を専修。
また、東京新詩社の社友となり、その機関詩『明星』を舞台に与謝野晶子と歌才を競い、
初期の女流歌人として浪漫主義短歌の進展に大きく貢献したそうです。
登美子の歌風は、晶子の奔放華麗なのに比べ、
清楚哀婉の趣に富むと賞賛され、また与謝野鉄幹をめぐって晶子に敗れて、
結局は父が決めた山川駐七郎と結婚したとのこと。
三丁町からほど近い、小浜公園には山川登美子の歌碑が立っています。
「髪ながき少女と生まれ白百合の額は伏せつつ君をこそおもへ」
夫に先立たれ、最後は29歳の若さで地元である小浜の地で亡くなりました。
その訃報に接した石川啄木は、「ローマ字日記」の中に
「Hakuko naru Jo-shijin Yakawa Tomi-ko Joshi wa tsui ni shinda no ka?! 」
(薄幸なる女詩人山川登美子女史はついに死んだのか?)と記しています。
そんな山川登美子の”ひとりの”女性としての、
あるいは歌人としての人生を知ることができるスポットが小浜にはいくつかあります。