北の庄城址・柴田公園〜その2
こんにちは、はたです。
本日は、先日の「北の庄城址・柴田公園」の続きで、
柴田神社の横にある資料館をご紹介します。
| こちらが資料館 入り口は観音開き式の 珍しい自動ドアです |
館内には、柴田勝家の遺業の証である貴重な展示品があります。
ここで言う遺業とは、現代で言い換えると公共土木事業になるのでしょうか。
まずは、前回レプリカでご紹介した、半石半木(はんせきはんぼく)で
造られた「九十九橋(つくもばし)」で、実際に使用された石柱です。
そして、天正6年(1578年)に北陸道と九頭竜川が交わる場所に
「舟橋」を渡す際に使用した鉄鎖。
この鎖は、”刀さらえ”で集められた刀で作られたとか…。
戦国武将・柴田勝家らしいエピソードですね。
| 九十九橋の石柱 | 舟橋に使用した鎖 |
他にも、柴田勝家やお市の方の絵巻や家系図などが展示されていました。
歴史好きの方は、ご存知かと思いますが、お市の方と三人の娘について
簡単にご説明しますと…、お市の方は、浅井長政と結婚し三人の娘を授かり、
浅井長政の没後、柴田勝家と再婚しました。
お市の方の三人の娘の長女・茶々(1567年〜1615年)は豊臣秀吉の側室になり、
次女・初(藤子・1568年〜1633年)は若狭小浜城主の京極高次に嫁ぎ、
三女・お江(小督・1573年〜1626年)は、佐治一成に嫁ぎ、後に豊臣秀勝と再婚し、
その後徳川秀忠と再々婚して、三代将軍家光の母となりました。
長女・茶々は両親の仇である、豊臣秀吉の側室になるというのは、
今の時代の女性では、考えられないことでしょうか?!。
戦国時代は男性だけでなく、女性も波乱に満ちた時代だったのですね。
ほかにも館内には、史跡調査の際に発掘された、品々が展示されています。
「鬼瓦」は、北の庄城の唯一の遺物だそうです。
| 発掘された器 | 写真の右上が鬼瓦です |
こちらは「城の橋通り」に面しており、福井駅から徒歩数分と駅近です。
園内はきれいに設備されており、資料館については分かりやすく解説された
パネルや音声付きのモニターが2台あり、福井の歴史についてふれることができます。
新しい中にも、歴史の重みを感じる場所でした。