北の庄城址・柴田公園〜その1
こんにちは、はたです。
今日は、JR福井駅から徒歩5分の場所にある、北の庄城址(きたのしょうじょうし)・
柴田公園(しばたこうえん)をご紹介します。
| こちらは『日本の歴史公園100選』に 選ばれた公園です |
この公園には、戦国武将・柴田勝家とその妻・お市の方を祀った
「柴田神社」があります。
長年、この地が勝家の居城であった「北の庄城」の本丸跡地だと
伝えられてきましたが、この公園ではその城址を明らかにするとともに
柴田神社を建立して、柴田勝家と妻のお市の方を合祀しています。
このことにより全国から、柴田勝家・お市の方ファンが、
全国から来られるようになったそうです。
| 槍を持った柴田勝家 | 美人で有名だったお市の方 |
「北の庄城」は、戦国武将・柴田勝家が、天正3年(1575年)から
数年もの年月をかけて築きました。織田信長が築いた「安土城天守」の
7層を上回る、5層9重の天守閣であったと資料にあります。
長年、確たる証拠がないまま「幻の名城」と言われていましたが、
公園設備の史跡調査・考古学的発掘により、存在していたことが
明らかになったそうです。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉の軍に攻められた柴田勝家は、
妻のお市の方(織田信長の妹)とともに、自ら北の庄城に火を放ち
最後を遂げ、同時に築城8年で北の庄城も消滅しました。
| 当時の"堀"が再現されています |
また、江戸時代、足羽川に架けられた九十九橋(つくもばし)という
橋があり、明治42年に架け替えられるまで330年ほど存続したそうです。
九十九橋は、南半分が"石"、北半分が"木"でできた、
半石半木の珍しい橋で、全国的に有名だったそうで、
(葛飾北斎の浮世絵にも描かれたそうです。)
数々の文献などから、九十九橋は柴田勝家の偉業だと言われています。
他にも柴田勝家は、九頭竜川に数艘の舟を並べて、その上に板を置いた
舟橋を天正6年(1578年)に渡したそうです。
| 園内に造られた九十九橋のレプリカ |
次回は、同じ敷地内にある『資料館』をご紹介します。